AV女優「渡辺まお」の身バレが起きたとき、私が思った本当のこと【神野藍】連載「私をほどく」第3回
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第3回
早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビュー。人気を一世風靡するも、大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、注目されている。AV女優「渡辺まお」時代の「私」を、神野藍がしずかにほどきはじめる。「どうか私から目をそらさないでいてほしい・・・」連載第3回。
【私がAV女優になっていなかったら】
嫌いでも好きでもない。誇るものでも懐かしさを覚えるものでもない。「地元」という認識も薄く、どちらかというと「そこに生まれたからそこで育った」ぐらいの気持ちだ。きっと私の生い立ちは大して面白くない。「家庭環境が最悪だった」「非行ばっかりしていた」「家に借金がある」とかみんなが望む分かりやすい不幸な要因は存在しない。
存在しないからこそ人は私の過去が気になるのだろう、「まっとうに育ったのにどうして」と。「AV女優がまっとうな生き方ではない」と考える人からすれば、そう思うのは自然なことだろう。ただそれはあなたがこれまで歩んできた人生で形成された価値観であって、私の価値観ではない。何が大切で、何が許せないかはそれぞれ個人が決定することだ。
人生は選択の連続だ。生まれてから死ぬまで定められたルートだけを歩むわけがない。何度も選択を迫られて、ここまでたどり着いた。それが正解か間違いかは死ぬときにならないと最終的には判断はつかないだろうが、現時点では私にとっては正しい道だったのだと思う。AV女優になっていようがいまいが、きっと楽しい人生は送れていただろうが、ここまでガツンとした刺激は得られなかったし、何よりAV女優になったことで今まで見えなかったことが見えるようになった。それは私にとって非常に大きな収穫であった。
そのまま女優にならないで過ごしていたら、今頃私は人の痛みが分からない、それこそ排他的で、学歴主義のつまらない人間が出来上がっていただろう。人を見て「なんでそんなこともできないの、なぜ理解できないの」が心の中の口癖になっていたのかもしれない。そんな風にならなくて心底ほっとしている。人の痛みに気が付けるのも、人に寄り添えるようになったのも、そして思いのほか「生を渇望している」ということを理解できたのも、あの二年間があったからだ。